コラム 八軒屋徒然草

八軒屋徒然草(コラム)

八軒屋徒然草(コラム)

ビジネス書の類は一切読まない(最近はもっぱら推理小説か犯罪実話を読んでいる)。ただいつかどこかで読んだ「企業はトップの姿勢を写す鏡であり、恐ろしいほどその性格を反映し、又その能力以上には発展しない」という一文が忘れられず、時として何かの折にふと思い出す。その通りなら俺は4億円ほどの男という事になり、まあその程度の男の様な気もするし、又別の折にはもう少しどうにかなるのではないかと思う時もある。

創業者である親父の跡を継いでもう6年が過ぎようとしている。完全な文系人間で手先の不器用な俺が機械の修理という純技術的な仕事を生業にしているとは我ながら本当に笑ってしまう(今でも図面がよく理解できずに困っている)が、世の中こう言う例はいくらでもあるのだろう。学生時代は作家か新聞記者にでも成ろうかなどとただ漠然と思っていたが、就職活動も一切せず安易に親のコネで就職し、その次は又安易に親の会社に入り結局家業を継いでしまった。ただ営業は苦にならなかった。飛び込み営業も全く平気だった。断られても仕様が無いなと思うだけだった。断られると逆にファイトが沸いて、もう一軒行ってやろうと思った。そう言う意味では営業向きの性格なのだろう。

ただ親父の跡を継いで社長になって飛び込み営業もする暇が無くなってふと思った。俺の仕事とは一体何なのか?うちの会社が無くなって誰か困る人が居るだろうか?それは現在何百社という会社と取引している訳だから、お客さんは他社よりもうちの方が何がしかの利用価値が在るから取引しているのだろう。そう言う意味でうちが無くなればうちよりもメリットの少ない会社と取引をしなければならなくなるので少しは困って貰えるだろうが、メリットは減ってもうちが無くなる事で客先の工場が操業できなくなるというものでは絶対ない。代わりは幾らでも居るのだから。修理業と共にメーカの代理店業務もしているが、それはメーカや商社の頭のいい奴らが描いた絵の通り走っているだけの仕事ではないか?それはそれでかなり儲かる時もある。が、所詮それも誰かの想定内の事だ。

前のページへ P01 P02 P03 P04 次のページへ