八軒屋徒然草(コラム)
西村さんは商業高校(工業高校ではない!)を出て55歳まで地方銀行に勤めていた。その行員時代に担当していた会社でこの技術の本当の発明者である矢野さんに出会い、その人柄と技術に惚れて矢野さんが亡くなったあと、安定した銀行マンの生活を捨てて、矢野さんの部下の一人・青谷さん(エム・イー技研研究所:現在は活動停止中)と二人で私財を全て投入して更に借金までして、機械設計も0から学んで、前述のSUMCO様に納入するまで頑張った。本当に頑張った!「頑張る」を辞書で引くと、①我意を張り通す、②どこまでも忍耐してつとめる、とある。正に自分たちの信じた道を突き進み、よくこれまで耐えて来た。この人達が居なかったらこの技術は日の目を見ずに泡と消えていただろう。縁あって今は俺が手伝っているが、本来個人やこんな田舎の一零細企業がやる様な事業ではない。日本のポンプメーカーの経営者の目は節穴か!?と愚痴りたくなるが、仕方が無いので俺も当分西村さんと二人三脚で頑張る。
The Show Must Go On.